浅草観音の納め鶏を殺した男の晒し者
どんな伝承か
浅草観音の堂の前には方々から奉納された鶏や鳩が大勢いて、参詣の人々が米や豆を買ってまいていた。天明五年の師走、大部屋中間らしい、脇差を差した男が、その鶏を二羽捕まえて締め殺し、持ち帰ろうとした。境内の楊枝店などの若い衆が大勢集まり、憎い仕業だと着物から下帯まで剝ぎ取って棒縛りにし、殺した鶏を棒の両端に下げて、囃し立てながら花川戸のほうまで送っていったという。著者は、納め鶏を殺すのは仏罰に値する悪心だが、境内の者が勝手に罰を加えるのも、男が身を投げでもしたら罪は免れず、仏の心にもかなうまいと記している。
原典より
天明五年師走の事成しに、大部屋中間の類ひなりしや、脇差をさし看板ひとつ着したる者、右鶏を二つ捕へ〆殺して持帰らんとせしを、—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。