清水中納言の廟で竜田を勤めた老人
どんな伝承か
寛政七年、清水中納言が亡くなり、東叡山の凌雲院に葬られて俊徳院と諡された。その屋形にごく軽い身分で仕えた七十近い老人は、能の間狂言を好み、能好きの中納言の相手を務めたこともあった。目見え以下の身分なので御廟に拝礼はできず、幕の外から内々に拝んでいたが、百か日の法事の後、人のいない時に廟の陰へ回って拝んだ。半時ほどもうつ伏したままなので廟番は死んだかと思ったが、やっと起き上がった。わけを問うと、生前お好みだったので竜田の間狂言を口の中で一番勤めたのだと涙ながらに語り、歌も詠んだという。その真心が哀れだと人々が語ったという。
原典より
漸に起出ける故、「いかに久しき拝礼也」と、右御廟処のもの尋ければ、—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。