咳の神様となった真田与一
どんな伝承か
平塚市真田の天徳寺には真田与一の廟所があり、土地では「真田の与一つあん」と呼んで、咳の神様として近郷近在の人々が信仰してきた。与一はこの真田の地に館を構えた武士で、源頼朝が石橋山で兵を挙げた際に加わり、股野五郎と組み打ちになった。駆けつけた味方が上はどちらかと尋ねたが、痰が喉にからんで答えられず、そのまま二十五歳の若さで討たれたという。この死にざまから咳の神として祀られるようになった。与一の孫は楠正成の千早城で討ち死にしたとも伝えられる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秦野市史 別巻 民俗編――伝説・妖怪(秦野市(編)・秦野市史)
『秦野市史 別巻 民俗編――伝説・妖怪』は、神奈川県秦野市の市史のうち、民俗編の口承の部分を収めたものである。前半には市内で聞き取った動物・神仏・妖怪・人や村に関する話を地区名とともに載せ、河童やセンタク婆さん、グアン婆さんなどの妖怪譚を含む。後半の第四節「伝説」は一テーマ一話の方針で百話を採り、動物・植物、水、石・岩、山・坂・道・畑、塚、祠堂、家・村の七つに分け、既刊の類話を〔文献〕として要約して添える。