死の刻を告げて往生した愚直な僧
どんな伝承か
四谷湯屋町に生まれた源吉とも源市ともいう男は、生まれつき愚かだったが、中年になって同じ四谷にある天台宗の真福寺で出家した。愚かながら真心があり、朝夕の勤行を怠らず長年寺に仕えた。臨終に際して手帳を取り出し、自分は今日の午の刻に死ぬので皆で引導を渡してほしいと言った。長老をはじめ僧たちは大いに驚いたが、時刻を改めるとまさに午の刻であり、僧たちが読経するなかで静かに往生したという。
原典より
四ッ谷湯屋町の生にて源吉とか源市とか云へる、生来愚昧にて中年同所天台宗真福寺の出家となり、愚昧なれど真実の心ありて朝夕勤行怠らず、年久しく仕へしが、死に臨み手帳を取り出し、「我今日午の刻に死すべし。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。