小児に異物ある事
どんな伝承か
著者のもとに出入りする大木金助は、勤めのかたわら絵や医業もする人だった。金助の話では、去年堺町の芝居を見に行った時、芝居茶屋の十三歳の息子が絵を習いたいと言うので手本を書いてやった。この子は芝居の真向かいに住みながら狂言を見るのを嫌い、明け暮れ学問ばかりしているので、家業に向かないと親に叱られていた。親は金助に頼んで子を寄宿させたが、子は茶運びや給仕をしながら絵や素読を学んだ。ある日親たちが来て、とても家業は継げない、こんな不了簡者は侍にでもするしかないと言ったので、大笑いしたという。
原典より
或日右の親共来て、右悴の義は迎も家業相続いたし役に立べき者に非らず。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。