米良山奥人民之事
どんな伝承か
日向国の椎葉山の山奥や米良などという所は、中ごろになってようやく村があり人が住んでいると知られたという。御普請役元締を務めた老翁中村丈右衛門の話では、椎葉山の材木切り出しの御用で日雇いを案内に分け入ると、山中に家がまばらに建つかなりの村があった。泊まった家には床がなく草を敷いて寝ており、異国に来たかと思うほどだった。持参の米を与えて炊いてくれと頼むと飯の炊き方を知らず、ふだんは木の実や獣、鳥を食べているという。供の者に炊かせて残りを与えると、家の老翁が家族を集め、孫や曾孫に、お前たちは幼くして米の飯を食えて幸せだ、わしは五十で初めて食べたと言った。翁は百歳を超えていたという。
原典より
汝等は天福ありて幼稚にて米の飯をいたし見る事か。我等は五十の時初て飯を給見たり—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。