狐か生霊か迷う加持の始まり
どんな伝承か
二十四日、市治郎の容体はさらに悪くなった。瘧にかかって四十日あまり、ここ一両日は何も口にせず骨ばかりにやせていたが、昼から正気を失ったようなふるまいを始めた。ただの病ではないと宮崎加賀守が招かれ、野干の仕業だろうと見立てた。すると看病していた相撲取りの長吉が、体中を撫でて試したが狐とは思えず、女の生霊かもしれないと言った。医師の三木も、何の祟りか分からないと困り果てていた。宮崎は白羽の矢を手に加持を始め、三十人ほどが居並んで見守った。祝詞を唱えるうち、衰えきった病人がひとりでに頭をもたげたという。
原典より
所が、この日の午時から病人は……な真似を始め、宛も發狂其儘になつて……ひました。—— 幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年))
『幽霊は語る』は、梶天真が編んだ幽霊譚と幽霊論の集成で、昭和十三年に文明社から出た。新聞・雑誌の記事や井上円了・柳田國男・高峰博らの所説、古典の文を出典を添えて引き、葬送の習俗や布哇の霊魂観から説く幽霊思想、幻覚や網膜による説明、乃木大将が見た我が子の幽霊などの実話を集める。三篇に分かれ、第二篇は男女の幽霊・怨霊・生霊・小児の見た幽霊・前知らせなど八項、第三篇は幽霊写真・化物屋敷・霊界通信を扱い、巻末を夕張と筑前の幽霊問答で結ぶ。