牟呂八幡宮に御鍬社を迎えた明和の御鍬祭
どんな伝承か
明和四年四月、伊雑宮の御祓を諸国へ勧請することが大流行した際、牟呂村の宮司森田淡路守光成は惣代を兼ね、東脇村の市右衛門を連れて海路志摩国磯部へ参宮した。四月六日に帰村すると、牟呂村上中下三組の人々が総出で幟を立てて出迎え、「オクハサマガゴザッタ、三百年は大豊年」と歌いながら盛大に祝った。御祓は牟呂八幡宮に鎮座し、翌日境内に遷され、これが御鍬社の創建となったという。
原典より
* 御鍬祭の流行* **II 牟呂村の「二夜三日正月」*** 「牟呂の神異」* 七月十四日――子どもの死* 七月十五日――妻の死* 七月十六日――「二夜三日正月」の決定* 七月十八日――「二夜…—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。