名古屋で伊勢札を抜いた秋葉札
どんな伝承か
慶応三年(一八六七)の名古屋における御札降りは、秋葉山(秋葉三尺坊大権現)の札が際立って多かった。八月末から始まった御札は、当初は伊勢神宮の札が多かったが、九月半ば以降は秋葉札が急増し、十月には全体の約三割を占めて他を圧倒した。名古屋で秋葉札が多い背景には、御札を祭らないと「けがれ」や「たたり」が生じるという恐れ、とりわけ火災につながる「火の恐怖」の観念が強く結びついていたためとされる。この名古屋の御札降りが、周辺の尾張や三河へ波及する起点になったとも考えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。