流行り神と構えた神官の村にも降った札
どんな伝承か
引佐の井伊谷八幡の神官山本金木の『慶応三年日記』によると、八月中旬に三河の吉田あたりから始まったお札降りは浜松辺りにも及び、人々は酒や餅を振る舞い鉦や太鼓で浮かれ歩いた。金木はこれを流行り神のしわざとみて心を静めていたので、自分の井伊谷村だけは一枚も降らないと書いた。ところが気賀では三日騒いで三百両でも足りなかったといい、二十四日の晩には村の谷田半七方にも秋葉の札が降った。翌日は村中が集まって祀り、酒を四斗余りも飲み、若者は裸で家々に舞い込む大騒ぎとなった。代官所の井伊谷陣屋にも札が降ったという。
原典より
ところが、それから五日後には、浜名湖の東北に位する彼の村にも、とうとう降ったのである。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。