毛筆のプランセットが描く霊の絵
どんな伝承か
明治四十二年三月、福来友吉は横浜のある紳士の家でプランセットの実験に立ち会った。同行したのは斎藤松洲と村上郊外の二人である。中座を務めたのはその家の息子で、当時早稲田中学に通う青年だった。この実験が変わっているのは、鉛筆ではなく日本の毛筆を挟み、手の自動運動に任せる点である。筆先はほどよく紙に触れ、太くも細くも自在に線を引いて絵を描き出す。先の光子の場合は現れる霊が清山という一人に決まっていたが、この青年では一定しない。光琳先生を、大雅堂先生をと注文すると、その都度違う人物が現れて相応の絵を描くのだという。
原典より
ブランセットが を描くここは、前の清山の例でも解る。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究・大正〜昭和(戦前)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究・大正〜昭和(戦前))
観念と身体との関係(物心関係論の歴史・物心相即・観念は生物也・観念活動の規定条件)、「我の能力」と人生(我の能力とは何か 等)を中心に、念写・透視の発見者である福来博士の独自の心理哲学を展開。各項目の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅した心霊哲学書。