白い鳥が屋根に置いたお札
どんな伝承か
田中彦作が慶応三年九月九日に自ら記した由来書によれば、同年八月二十七日昼の七ッ半どき、白い鳥二羽が秋葉山の小札をくわえて来て屋根に置いていった。長男清作がすぐに水垢離を取って屋根へ上がると、札は屋根の途中まで広がり、ひとりでに清作の手もとまで来たという。そこで大工に宮を誂え、修験者を頼んで祈禱を行い、翌二十八日は夜まで村じゅうの人を人別で呼んで大騒ぎをしていたところ、夜四ッ時に大神宮の札が背戸口から座敷の真ん中へ舞い込み、またも大騒ぎとなった。降った札は秋葉山二枚・大神宮一枚の計三枚であった。
原典より
彦作さんの長男清作さんが、二羽の鳥が屋根に何か置いて行ったのを認めて、そうそう水垢離を取ってから梯子を昇ったことを考えると、なるほど信心深い一族であったに相違ありません。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。