手箱山を開いた常磐を訴えた者の末路
どんな伝承か
宮地常磐は大山祇命の依頼を受けて土佐国吾川郡安居村の高山、手箱山を開き、大山祇命を祀って人々を集め、三十六尋の大鎖を山に掛けた。ところが神に通じたという評判が広まると、それをねたんだ十八人が訴え出て、常磐は神主の職を解かれ、遠方への往来まで止められた。代わりに十歳の子堅磐が神主に召し出された。常磐は屈せずにいっそう神拝に励み、やがて訴えた者や取り調べた者は年々死んでいって一人も残らなかった。こうして常磐の正しさが明らかになり、父子とも務めを許されたという。
原典より
其時より父の神明に通ぜし噂の盛になりて、奸夫十八人其事を種々に申立て訴上し、遂に神主職も放され遠方往来さへ留められければ、父の代りに堅磐十歳にて神主職に召出されたり。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。