扇子の要と名づけられた門人
どんな伝承か
井上正鉄は、自分の教団にやがて法難が及ぶことを予知していた。常吉の求道ぶりは他の参拝者と違って真剣で、その篤信と才を見抜いた正鉄は、事件の起こる前のある日ひそかに彼を招き、教義の奥義をすべて授けたうえで口調をやわらげ、今日限り破門するから江戸を離れよと告げた。そして扇子を示し、多くの信者の中でお前にこそ要の役を務めてほしい、今日から常吉を改めて要と名乗れと言い渡す。感激した常吉は郷里の信州飯田町へ帰り、二、三年後の弘化二、三年頃には備前岡山の城下に現れた。鈴を振り、トーカミエミタメの八音を唱えて市中を歩く姿に人々は目をみはり、やがて信者が生まれたが、安政三年に藩の取り調べを受けた。
原典より
これより先き、正鉄はやがておのが教団の上に法難が来ることを予知していた。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)