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天保のお蔭参り狂乱

所在地大阪府豊中市桜塚
年代天保元〜二年(一八三〇〜三一)
登場甚兵衛、貧富問わぬ民衆、村の若者、南刀根山村庄屋・踊りの集団が押しかけた家
出典豊中市史 本編 第2巻

どんな伝承か

幕藩体制の厳しい取締と窮迫した生活のなかで、天保元年から翌二年にかけてお蔭参りの狂乱が起こった。人々は貧富を問わず伊勢神宮へ向けて出発し、旅費のない者には宿泊も食費も一切が施された。村の取締を無視して若者が勝手に旅立ったので「抜参り」ともいわれ、大阪町奉行所は禁圧したが効果がなかった。この年は近年にない豊作で、桜塚村では六人、南刀根山村では五七人が伊勢神宮へ参拝した。抜参りに呼応して村民の集団踊りが村から村へ広がり、阿波から始まったというお蔭踊りが猛烈な勢いで広まった。四月十一日から五月にかけ、南刀根山村だけで他村からの踊りが一四回も来て、うち庄屋甚兵衛宅に押しかけたのは九回を数えた。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

豊中市史 本編 第2巻(豊中市史)

『豊中市史 本編 第2巻』は、豊中市の市史本編の一冊で、ここにはその近世の民衆の動きを記した数頁を収める。天保元年(一八三〇)のお蔭参りとお蔭踊り、慶応三年(一八六七)秋からのお札降りが豊嶋郡の村々に広がった様子を、刀根山村や熊野田村の記録によって述べ、盲人が喜捨を求めて村々を回った事件にも触れる。刀根山村へのお蔭参りの押しかけを日付・村・人数ごとにまとめた第60表を挟む。

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