桜塚村に降った天満宮と太神宮の札
どんな伝承か
大坂の北にあたる豊中の一帯では、文政のころにもお祓降りとおかげ踊りが盛んだったが、慶応三年にも十二月初めからお札が降り、町では豪商や質屋、米屋、村では庄屋や在郷の大きな商人、豪農の家に、ほとんど片端から降ったという。そのなかの桜塚村では、十二月一日に天満宮、八日と十八日に天照皇太神宮の札が降った。同じ豊中の山寄りの熊野田村でも、四日から翌年一月まで十八軒に降っている。『豊中市史』第二巻による話である。
原典より
桜塚村では十二月一日に天満宮、八日、十八日に天照皇太神宮が、山寄りの熊野田村では十二月四日に始まり、翌年一月十八日まで一八軒に降った。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。