本町と南仲通りだけに降った札
どんな伝承か
『横浜開港側面史』によれば、慶応三年の横浜で札が降ったのは市中全体ではなく、本町と南仲通りに限られていた。南仲通りでまず成田山と川崎大師の札が降り、それからあちこちでさまざまな札が降って大騒ぎになったという。札を拾った家では青竹で垣を組んで飾り立て、供物を上げてありがたがり、外からは賽銭を持った参詣人が訪れた。家々は軒先に差し掛けを出して餅を搗き、騒ぎはおよそ三十日も続いた。著者は、これを八月ごろの出来事とする説には日付の根拠がないとし、横浜のお札降りは十一月中旬ごろに始まったとみている。
原典より
横浜では、降札があったのは「市中一般ではなく、此不思議なことの有ったのは本町と南仲通りでした」として、南仲通りでは成田山と川崎大師が降った後で、…—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。