三輪の町に金仏まで降った御蔭踊り
どんな伝承か
大和の桜井では、法念寺の住職聞学が書き留めた過去帳に、慶応三年十月十一日、この地に初めて伊勢のお祓が降り、それから馬場崎をはじめ町々に毎日お祓が降ったと記されている。馬場崎からはお蔭だと唱えて老若男女が入り乱れて踊る騒ぎが起こり、この地方ではこれを御蔭踊りと呼んだ。三輪の町にはお祓のほか神仏の御影や木像、金仏、金銭まで降り、十一月には村々の人々が耕作を放り出して近村を踊り回った。お祓は十二月になっても降り続いたが、一橋公の大坂籠城の騒ぎで踊りはたちまち止んだという。
原典より
「法念寺過去帳」は、十月十一日に「当処へ始メテ伊勢御祓降臨、是ヨリシテ馬場崎其外町々へ日々御祓降臨アリ」とし、この馬場崎から「オ蔭ナリト唱へ、老若男女ヲ論ゼズ大イニ戯レ踊ル」状態になったとしている。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。