藩主の奥方の玄関にも降った豊岡の札
どんな伝承か
明治元年(一八六八)二月十日、但馬・城崎郡豊岡で皇太神宮のお札が降りはじめると、十二日から市中で踊りが起こった。藩の制止もきかず昼夜踊りまわる者が絶えず、会所や奉行所も三日間はこれを黙認し、十五日には町方十町から「俄」が繰り出して大賑わいとなる。その後も騒ぎはおさまらず、二十二日には藩主京極家の奥方の玄関や重役堀家にもお札が降って子どもたちが踊り、二十八日には上分の商家数軒にも降札があって三十日まで盛んな振舞い酒と踊りが続いた。藩はついに町おどりを禁止したが、それでも十日あまり騒ぎは続き、三月一日の夕方になってようやく鎮まったという。
原典より
城崎郡豊岡では、二月十日に皇太神宮の降札で始まり、十二日から市中の踊りとなり、十三日はさらに諸家へ降札があって騒がしくなった。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。