狐が荒れぬよう村境まで歩く狐狩り
どんな伝承か
合橋村では、正月十四日の夜、十五歳以下の子供が鐘や太鼓を叩いて「狐狩りだ」と唱えながら村境まで歩いた。ここではこれを、狐が荒れないようにするためであると伝えている。近畿から山陰・北陸の一部に残る狐狩りは、今では悪辣な狐を狩り出す行事と考えられているが、正月十四日は望の日を控えた神聖な日である。柳田国男は、以前は狐を狩るのではなく、むしろそのありかを見つけ出して年の始めのめでたい祝言を聴こうとした式であったろうと述べている。鷲尾三郎の報告による。
原典より
兵庫県天田郡合橋村でも、正月十四日の夜、十五歳以下の子供が鐘太鼓を叩いて、「狐狩りだ」と唱えながら村境まで歩いたが、…—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。