身分の別なく踊り出た淡路の太神宮参り
どんな伝承か
淡路の騒ぎは慶応三年十二月に入るといっそう激しくなり、年の瀬で薪を蓄えねばならない時期なのに山へ行く者が一人もいない、と記録者の水田子静は嘆いている。十二月九日の夜には、ふだん差別を受けていた身分の人々も太神宮へ踊り出し、身分の上下を問わず群れ集って参詣する、島始まって以来の人出になったという。水田は、この間は盗人も火事も喧嘩もなかったと不思議がっているが、著者はそのまま信じてよいかは疑わしいとしつつ、民衆が自分たちなりの秩序を生み出していたのではないかとみている。
原典より
この間、「世人=盗人ナシ、火事モナシ、喧嘩ナシ」として、水田子静は不思議な事態としているが、事実そうであったかは疑わしい。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。