藍商松浦家に集中した五百枚余の札
どんな伝承か
小松島では慶応三年十二月一日に降札が始まり、中旬に第一のピークを迎えたが、その後しだいに徳島藩を代表する藍商の一人・松浦家への降札に集中していった。翌年一月二十一日には五四九枚が降り、そのうち五四一枚が松浦家にまとまって降ったという異常な集中がみられた。松本博氏はこれを『藍商松浦家に対する民衆側の作為による集団的知謀があったことは明らかである』とし、在郷町とその周辺の民衆が特権的な藍商に降札を仕組み、踊り込みをして酒食の振る舞いを強要した、民衆の世ならし期待の行為だとみている。
原典より
十二月中旬の第一の流行のピークが過ぎると、しだいに松浦家への降札に集中し、一月二十一日の五四九枚は、そのうち五四一枚が同家にまとまって降ったものであった。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。