観音寺・豊浜で盛んだった讃岐の騒ぎ
どんな伝承か
讃岐西部の三豊郡については、『三豊郡史』によれば、慶応三年十二月二十日ごろに観音寺町と豊浜町のあたりで「ええじゃないか」が最も盛んになり、翌年一月十五日に静まったという。香川県内の諸史誌もそろって一月十五日に平静に戻ったとする説をとっているが、その根拠ははっきりしないと著者は述べている。讃岐の騒ぎは阿波に比べて実態がよく分からず、立ち入った様子は伝わっていない。
原典より
立ち入ってはわからないが、『三豊郡史』は、十二月二十日ごろ観音寺町・豊浜町付近がもっとも盛んであったとし、翌年一月十五日に平静になったとしている。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。