長州を囃した東播磨の稲荷踊り
どんな伝承か
慶応元年の五月、東播磨の村々で「稲荷踊り」あるいは「長勝踊り」と呼ぶ踊りが流行した。男も女も思い思いの扮装をして村から村へ踊り歩き、間の手には「長州負けるなよ、エライヤッチャ」と入れたという。起こりは美嚢郡の三木町らしく、そこから加東郡・多可郡へ、さらに篠山藩領の多紀郡今田組にまで及んだため、篠山藩は乱妨がましいとして禁令を出した。丹後の算所村の庄屋西村利左衛門は、この踊りが明石から姫路、そして丹波路へ伝わったと書き残している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。