山本文之助の墓へ続いた残念さん参り
どんな伝承か
禁門の変に敗れた長州藩の一兵卒山本文之助は、国もとへ逃げ帰る途中、尼崎大物町の北ノ口御門で藩兵に捕らえられ、その日のうちに番兵の隙を突いて自ら命を絶った。翌慶応元年の二月から、この山本の墓へ参る者が急に増えていく。尼崎藩はしばらく「おかげ参り」同様に手を出さず眺めていたが、あまりに人が集まるので墓石のまわりに垣を結い、その外から拝ませるようにした。五月十五日には船を仕立てたり道を回ったりして訪れる者が相次ぎ、すさまじい賑わいになったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。