東本願寺別院と千日墓所への長州参詣
どんな伝承か
元治元年の禁門の変で敗走した長州藩兵の多くは、自害の道を選んだ。翌慶応元年の五月、尼崎の山本文之助の墓への残念さん参りが大坂町奉行所に禁じられると、流行は大坂へ移った。五月二十四日からは、長州藩にゆかりのある東本願寺別院の東御堂と千日墓所へ人々が参詣するようになり、続いて長州藩の蔵屋敷跡の柳にも参詣が殺到した。志を遂げずに死んだ者を悼み、願をかける参詣の一つである。
原典より
禁門の変で敗走した長州藩兵の多くは、自殺の道を選んだが、同年五月二十四日から、長州藩ゆかりの東本願寺別院の東御堂と千日墓所への参詣が始まっている。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。