野猪肉と死者の逸話
どんな伝承か
大雪渓を登りきった一行は、日暮れに案内人が指さす谷間の鉱山の舎宅へ下った。二階建ての舎宅は大半が残雪に埋もれ、先に着いた人夫がランプを掲げて目印にしていた。気圧が低いせいか、一時間以上炊いても飯は粥とも飯ともつかない出来だったが、おかずの肉はなかなかの珍味だった。何の肉かと尋ねると、人夫の一人が、今年の正月中旬、最初に死んだ人夫が病んでいた頃に越中の猟師たちがこの舎宅に泊まって捕った野猪で、見舞いに一頭くれたのを病人たちと食べ、残りを味噌漬けにしておいたのだと言う。死者たちはその肉を薬のように食べながら亡くなったと聞かされ、著者はその夜、悪夢にうなされて眠れなかった。
原典より
其肉は今年の正月の中旬丁度第一着に死んだ人夫が病中に、越中の獵夫數人此舍宅に来たり泊して捕獲し得た野猪の肉で、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。