老医と警官の呑気な帰路書置き
どんな伝承か
六つの遺体を雪の上で火葬し終えた著者は、遺骨の拾い集めを残りの者に任せ、案内人一人を連れて、山麓で待つ医師と警官のもとへ急いだ。登りに五、六時間かかった大雪渓も、教わった身構えで雪の上を滑り下りると一時間もかからなかった。ところが前夜の破れ小屋に二人の姿はなく、古板に木炭で、あまり遅いので先に帰る、早く帰ってきてほしいという午後四時三十分付けの書き置きが残されていた。もし自分が遭難していたら警官は署長に何と報告するつもりだったのかとあきれつつ、著者は棒のようになった足で後を追い、一里余りで追いついて口裏を合わせ、何食わぬ顔で帰らせたという。
原典より
餘り遅いからソロソロと歸路に就いた、早く歸て下さい午后四時三十分二人より高橋樣へ—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。