焼き米一升で力を戻した無学徳助
どんな伝承か
明治のころ、音金村に徳助という大力持ちがいた。自ら無学と字名し、無学徳助と人々に親しまれ、楢原玄蕃にあやかって馬鹿力を生かしてみようと念じていた。ある年の残暑のころ、山に刈り干しておいた乾まぐさを馬三十駄分も梯子に結い付け、一度に背負って山を下ったが、途中で腹が減って動けなくなった。通りかかった農婦たちが、野良仕事で腹を持たせるために持ち歩く焼き米を出し合って一升余りを差し出すと、徳助はそれを一度に噛み砕き、力を盛り返して家まで背負い通した。村の真中にあった長さ六尺の畳石も、彼が夜中に谷の川原から独りで担ぎ上げたものだという。
原典より
昔といっても明治のころ、徳助という大力持ちが音金村にいた。—— 下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史・自治体史(民俗))
福島県南会津郡『下郷町史 第5巻(民俗編)』所収の伝説。会津・下郷町に伝わる自然伝説・歴史伝説・信仰伝説を収録する。