御側が原に残る桜木姫の墓
どんな伝承か
以仁王の側室桜木姫は、妃の紅梅御前とともに白河の関より宝坂峠や蟬峠の難所を越え、ようやく大内にたどり着いたが、王は一足違いに越後へ発った後だった。戸右衛門の宅まで着いた姫たちは長旅で心身ともに疲れはて、ついに王には会えぬまま、八月二十六日に桜木姫はにわかにこの地で病没した。知らせを受けた王は乙部右衛門佐を名代として遣わし、九月二十四日に大内へ着いた名代は戸右衛門の家に逗留して、姫の塚に桜の木を一本植え、桜木霊社として祀った。塚は大内から氷玉峠にかかる道端に一基だけ建ち、里人はそこを御側が原と呼ぶ。
原典より
桜木姫の塚は、大内より氷玉峠にかかる道端にぽつねんと一基、長旅の途次の悲しい死を、いまははや慰めてくれる人もなく、里人呼んで御側が原という所に建ててある。—— 下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史)
『下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説』は、会津の下郷町の町史民俗編のうち、町内の伝説を集めた第二節である。鏡沼の大蛇や二岐山のダイタンボウ、狼に食われた祖母、湯野上温泉猿湯の由来、高倉宮以仁王と桜木姫・紅梅御前の落人伝説、伊達政宗の戦の悲話、小野の長者と小野観音の金の鰐口などを収める。伝説を自然伝説・歴史伝説・信仰伝説に分け、各話に地名や供養塔・墓・文化財の現状を書き添えている。