王三段と以仁王の最期
どんな伝承か
大内宿の高倉神社の北方一〇〇間ほどのところに、王三段と呼ぶ遺跡がある。以仁王は宇治で戦死したことになっているが、実は影武者を立てて逃げ延び、後にこの地へ戻って居所を定めたと伝わる。三つの段が今も原型をとどめ、一番奥の段には王の居間の石という石が残る。石川有光の子基光らが攻め寄せたときは、強弓の渡部丁七が基光を射落とし、どこからか鷲の群れが飛来して石川勢を痛めつけた。のち王は谷沢で膝に矢傷を負い、辞世を詠んで自害した。首は是丹坊が切り、家来の金川四郎が抱いて逃れたが、越後と会津の国境の所得峠で白髪の老翁に取り上げられたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史)
『下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説』は、会津の下郷町の町史民俗編のうち、町内の伝説を集めた第二節である。鏡沼の大蛇や二岐山のダイタンボウ、狼に食われた祖母、湯野上温泉猿湯の由来、高倉宮以仁王と桜木姫・紅梅御前の落人伝説、伊達政宗の戦の悲話、小野の長者と小野観音の金の鰐口などを収める。伝説を自然伝説・歴史伝説・信仰伝説に分け、各話に地名や供養塔・墓・文化財の現状を書き添えている。