駒止峠に残る以仁王落去の伝え
どんな伝承か
治承四年五月八日、高倉宮以仁王は源三位頼政のすすめで平家討伐の軍を進めたが、宇治川の戦に敗れ、宇治の平等院で流れ矢に当たって落命したと書かれている。しかし近臣のすすめで陣中を切り抜け、駿河国から甲斐国、信濃を経て上州沼田から会津に入られたという。七月一日に沼田から尾瀬へ入り、檜枝岐村から当村を通り、只見から八十里峠を越えて越後の小国城へ向かわれたと伝えられる。針生の大峠を越える際、峠の険しさに王の乗る馬が歩みを止めたことから駒戸峠と名づけられ、明治二十一年に駒止峠と改められた。当村にはこうした以仁王ゆかりの伝説が数多く残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
南郷村史 第5巻(民俗編)――昔話と伝説(南郷村(編)・南郷村史)
『南郷村史 第5巻(民俗編)――昔話と伝説』は、南郷村の村史民俗編のうち、第十一章「昔話と伝説」を収めたものである。奥会津に語られる昔話を方言のまま書きとめ、きのこの化け物、食わず女房、三枚のお札、天女の羽衣などを語り手の地区と名を添えて載せ、伝説では高倉宮以仁王、蛍堂、箱渕のきつね、萩山稲荷の萩太郎、天狗の飛礫などを伝える。昔話と第二節「伝説」に分かれ、末尾に参考資料の一覧を付す。