溺れた子の亡骸の上で鳴いた舟の鶏
どんな伝承か
明和二年五月十一日、加賀の小松が大水に見舞われ、城の三の丸の内にある橋の近くで子どもが一人溺れて死んだ。人々は亡骸を捜したがどうしても見つけられなかった。そこで鶏を舟に乗せて水の上へ出してみると、亡骸の沈んでいる場所で鶏が鳴いたという。加賀藩の十代藩主前田重教の略年譜『泰雲公御年譜』に書き留められた出来事で、溺れた人の在りかを鶏に教えさせる言い伝えが、江戸時代の加賀でも実際に使われていたことが分かる。
原典より
小松洪水、御城三之丸之内橋辺、子共壱人致溺死、死骸相尋候得共、不見申候ニ付、舟ニ鶏を載せ出申候、死骸有之所ニ而、鳴申候由ニ付、云云—— 伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史)
『伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説』は、伊勢崎市が編んだ市史民俗編のうち、俗信と伝説・昔話の節の抜粋である。オサキや水死体を知らせる鶏などの俗信と、赤城と日光の神戦、赤堀道玄の娘の入水、『神道集』の宮子の龍宮、義経や鎌倉権五郎にまつわる伝説を、『伊勢崎風土記』などの記録や土地の語りを引いて記す。伝説を赤城山・『神道集』・義経・権五郎・寺社・入定・城などの七類に分けて述べ、十二支由来などの昔話を続ける。