白狐の夢が拓いた堀と腹切壇
どんな伝承か
牛沢の地方は水利が悪く、田が実らずに畑で麦や粟を作る十四か村があった。牛沢の郷頭佐原光重は水源を探したが見つからず、翌年二月、白雪の中を白狐が鶴沼川に舞い下り、西北へ走って牛沢に至る夢を三夜続けて見た。三月一日の未明に川のほとりへ行くと、雪の上の狐の跡をたどった自分の足跡が川の形になっていた。光重は病に倒れ、子の光忠が跡を継いで新堀を掘った。工事では反対した農民二人と顔役一人が殺された。堀は川下の方が高く見えたため、光忠と普請奉行二人は短刀を前に切腹の覚悟を語ったが、そこへ水が流れてきた。三人の座した所に築いた壇を腹切壇と呼び、今も若宮小学校の南方に残る。
原典より
むかし牛沢部落の地方は、水利の便が悪くて田の稲がみのらず、やむなく畑にして麦や栗などを作り、それを常食としている十四か村があった。—— 会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史・自治体史(民俗))
福島県会津坂下町の自然伝説・歴史的伝説・信仰伝説を網羅する。