飛騨の工匠と腐る病の起り
どんな伝承か
飛騨の工匠は一日に七つの観音堂を建てるほどの名人であった。その偉さに木の切れ端が弟子入りし、さらに小さな切れ端が孫弟子となって次々に数を増した。最後の御堂を建てるとき、工匠は人の姿で働いていた切れ端の魂を返そうと一枚の板を打たずに置いたが、そのうちに鶏が鳴いてしまった。切れ端たちは人のままにしてくれと願い、工匠は、お前たちは元は木だからいつか腐る病にとりつかれると言い置いて雲に乗って去った。以来この病が生じ、それが出る家筋もできたと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
佐々木喜善全集 1(佐々木喜善・佐々木喜善全集・1986年(昭和61年))
『佐々木喜善全集 1』は、佐々木喜善の著作を遠野市立博物館が編集・発行し、昭和六十一年に刊行した全集の第一巻である。岩手県の遠野・江刺・紫波・岩手などで聞き集めたザシキワラシの話、昔話、伝説を、村の古老や知友からの聞き書きと手紙による報告をもとに収める。「奥州のザシキワラシの話」「江刺郡昔話」「紫波郡昔話」「東奥異聞」「老媼夜譚」「聴耳草紙」に小篇を加えて並べ、巻末に遠野市教育長の跋と奥付を置く。