里浦に流れ着いた御息所の墓と海人の祟り
どんな伝承か
『阿府志』巻二十四の一条。里浦の磯崎松のあたりに御息所の墓がある。承久三年、土御門院が土佐の畑へ流されたのち、御息所は後を追って摂津の大物浦あたりまで下ったが、九州の武士に奪われて船に乗せられた。その船が鳴門の渦に巻き込まれると、水主たちは都の女に竜神が祟ったのだと騒ぎ、小舟に移して流してしまう。里浦に流れ着いた御息所から海士たちは衣裳まで剥ぎ取り、御息所は籠を放てば祟るぞと言い残した。以来この浦の海人には癩病人が絶えず、御息所はついに殺されたという。承久四年、阿波へ移った院が跡を尋ねてこの浦に来られ、供の者が石を運んで築いたのがこの墓で、土御門天皇や清少納言の墓とも伝えるが誤りだと記す。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第12巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第12巻』は、四国四県(香川・愛媛・徳島・高知)の伝説を話型ごとに集めた伝説集成の一巻である。神々の争いや大人の足跡、弘法大師の彫り残しや麦の種、英雄の誕生、長者、人柱、蛇聟、狼の報恩、化猫退治、首切れ馬、夜泣石、地蔵の霊験などを、町村誌や地方の伝説集、昭和五十三年度立命館大学説話文学研究会の採集調査稿から採る。百三十九話に通し番号を付け、各話に伝承地と出典、高木・柳田の分類名を添え、県別の〔類話〕と〔文献〕を続ける。