見の嶽に身を投げた四鬼と鬼骨寺の縁起
どんな伝承か
鬼骨寺の略縁起が伝える物語。建永二年、法然上人は他宗派の画策で流罪となり四国へ送られた。上人を乗せた船が鳴門海峡を過ぎて阿波国の沖合にさしかかったとき、阿波国坂西山の見の嶽を住処とする二匹の鬼が父母の鬼をともなって船上に現れ、延寿の術を授かりたいと懇願した。上人は阿弥陀仏の画像を取り出し、一心に名号を念じれば来世は必ず極楽浄土に生まれると説いた。感涙にむせんだ四鬼は画像を拝領して坂西山へ帰り、岩窟に尊像を安置して称名を唱えていたが、やがて相次いで見の嶽より身を投げ、四鬼もろとも壮絶な自死を遂げた。山頂には紫雲がたなびいたという。国司小笠原義秋は感銘して薬師寺を修造し、寺号を鬼骨寺と改めた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪伝説奇聞(東雅夫・2005年(平成17年))
『妖怪伝説奇聞』は、東雅夫が二〇〇五年に学習研究社から刊行した妖怪伝承地の探訪記である。稲生物怪録の木槌、クダン、牛鬼、塵輪、ナメラスジ、八幡の藪知らず、鬼の骨、蛇骨、鍋島の怪猫、児啼爺などを追い、中国・四国・九州ほか各地の寺社や旧家を訪ねて遺物と伝承を確かめる。月刊誌「ムー」の連載「日本伝説紀行」の十二章を三つのカラーグラビアで区切り、巻末に草双紙『鍋島猫騒動』の復刻を添える。