稲生平太郎と三十日の妖怪屋敷
どんな伝承か
江戸中期の寛延二年、備後三次藩士の子で十六歳の稲生平太郎は、相撲の師匠三井権八と比熊山に登り、祟りを恐れられた古塚で夜通し百物語をした。その報いか、旧暦七月の一日から三十日まで、稲生の屋敷には一つ目の大男、逆さまの生首、老婆の大首、化け蝦蟇、燃える行灯や飛び回る道具などが日替わりで現れた。平太郎は少しも動じずひとりで屋敷に居続け、最終日、魔王山本五郎左衛門と名のる貴人が現れて退散を告げた。魔王は、宿敵の悪五郎が来たらこれで北の柱を打てと木槌を授け、妖怪の担ぐ駕籠で明け方の空へ消えたという。
原典より
魔王の木槌と空前絶後の妖怪絵巻に誘われて発端は「打出の小槌」だった。—— 妖怪伝説奇聞(東雅夫・2005年(平成17年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪伝説奇聞(東雅夫・2005年(平成17年))
『妖怪伝説奇聞』は、東雅夫が二〇〇五年に学習研究社から刊行した妖怪伝承地の探訪記である。稲生物怪録の木槌、クダン、牛鬼、塵輪、ナメラスジ、八幡の藪知らず、鬼の骨、蛇骨、鍋島の怪猫、児啼爺などを追い、中国・四国・九州ほか各地の寺社や旧家を訪ねて遺物と伝承を確かめる。月刊誌「ムー」の連載「日本伝説紀行」の十二章を三つのカラーグラビアで区切り、巻末に草双紙『鍋島猫騒動』の復刻を添える。