樫の木の前で回る人の顔の輪
どんな伝承か
七月十七日、月の出を待つ空がおぼろに白むころ、稲生屋敷の庭の樫の木の手前で、輪違いのようなものがいくつもくるくると回りはじめた。野狐除けの札を持って来ていた上田治郎右衛門が気味悪がって帰ろうとすると、台所からも同じ輪が現れ、小さな盥ほどのものもまじって煙のように回った。よく見ると輪の中には目鼻口があり、すべて人の顔で、入れ替わり重なりながら、白目をむくもの、笑うものとさまざまに変わった。治郎右衛門はいたたまれず逃げ出し、物の怪と平太郎は声をそろえて笑ったという。
原典より
見定めんとすれば、くるくると入替りて、顔の上へかほが交り、さまざまの顔あらはれ、白眼もあり笑ふも有。—— 日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路)
『日本の幽霊たち――怨念の系譜』は、阿部正路が書きおろした日本文学の幽霊論で、刊行は日貿出版社が手がけた。『竹取物語』『源氏物語』『平家物語』などの物語、『日本霊異記』から『遠野物語』『聴耳草紙』に至る説話、能と歌舞伎、さらに三遊亭円朝・泉鏡花・森鴎外・小泉八雲らの近代の作品に現れる幽霊をたどり、怨念の系譜として読み解く。第一章で幽霊の時・季節・姿・場・目的を論じ、終章で稲生屋敷の物怪や百鬼夜行など幽霊の周辺に及ぶ。