八條大納言の馬場と三つの地名
どんな伝承か
昔、天平年間のこと、八條大納言という公家が罪を問われて八條領へ流され、そのままこの地に住み着いた。大納言は馬術の名手で、その腕を慕って諸国から武士たちが修業にやって来た。そのため馬場を上・中・下の三か所に設けることになり、それぞれの土地が上馬場・中馬場・下馬場と呼ばれるようになったという。南の下馬場のほうは、わけあって江戸時代の初めに大原と名を改めたと伝わる。
原典より
この大納言は馬術に優れ、それを慕って諸国の武士が馬術の修業に訪れて来た。—— 八潮市史 民俗編――伝説・怪異(八潮市(編)・八潮市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
八潮市史 民俗編――伝説・怪異(八潮市(編)・八潮市史)
『八潮市史 民俗編――伝説・怪異』は、埼玉県の『八潮市史』民俗編から伝説の部分を収めたものである。市内の各地区で聞き取った稲荷火や狐の嫁取り提灯、狢・河童・蛇の話、徳川家康の鷹狩りにちなむ地名や塚の由来、地蔵や人魂、念仏橋の話を、話者の言葉づかいのまま地区名を添えて並べる。概説のあとに自然伝説・歴史伝説・信仰伝説の三つに分け、話の群ごとに『日本民俗事典』や『武蔵の伝説』などを引いた参考を付ける。