お札配りが訪れた火伏せのオガマサマ
どんな伝承か
ひたちなか市長砂や西中根の家々では、カマドのそばやダイドコロの後ろの角に棚を設け、あるいはオガマサマの柱を立てて、火難を除いてくれる火伏せの神を祀っていた。正月の半ばごろ、オガマサマと称するお札配りが訪れる。浴衣を二枚重ね、羽織に股引、草鞋ばきという姿であった。このオガマサマは、長砂では那珂湊の部田野の釜神社から、西中根では水戸の大塚の溜、あるいは水戸の下市の竈神社から来るのだと伝えている。米を桝や皿に入れて渡すと、長い袋に入れて持ち帰った。オガマサマを粗末に扱うことはできないとされ、西中根では悪い月にカマドを作ったり壊したりしてはならず、跨ぐことも忌まれた。
原典より
オガマサマは、長砂では那珂湊の部田野の釜神社から、西中根では水戸の大塚の溜から、あるいは水戸の下市の竈神社からきたと伝えている。—— 勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史)
『勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神』は、勝田市の市史の民俗編のうち、「信仰生活」の部の一部である。鎮守祭礼の移り変わりに続いて、屋敷神や同姓の家々で祀るウジガミと系図祭り、カマド神やエビス・大黒などの屋内の神々、病気や安産の祈願を集める小祠を、市域のムラでの調査と聞き取りによって記す。後半では流行神として上高場の六地蔵、腹切り佐七、塚信仰、東石川大島の無縁様を取り上げ、その由来と信仰の広がりをたどる。