北条軍の退路を断った焼橋の火矢
どんな伝承か
戦国時代、北条軍と武田軍が桂川を境に向き合って争った。北条軍は吉田の側から桂川に陣を構えていたが、その大半が橋を渡ったところで、橋に火矢が射かけられて焼け落ち、退く道を断たれた北条軍は全滅したという。桂川の吉田寄りに陣の後という地名が残るのも、この戦にちなむとされる。
原典より
北条軍の過半数が渡ったときに、橋に火箭をかけて焼いて、帰路を失った北条軍は全滅した。—— 向原の民俗 上――昔話・伝説・怪異(民俗調査報告 第9号・第10号・民俗調査報告) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
向原の民俗 上――昔話・伝説・怪異(民俗調査報告 第9号・第10号・民俗調査報告)
『向原の民俗 上――昔話・伝説・怪異』は、民俗調査報告の第九号・第十号にあたる向原の民俗誌の上巻から、「IX 口承文芸」の章を収めたものである。昭和五十六年から五十七年にかけて向原の話者から聞き書きした昔話十一話、伝説二十四話、天狗や狐、河童、ヒトダマをめぐる世間話二十七話のほか、富士山や天気の諺と暮らしの方言を収める。昔話・伝説・世間話の節ごとに題名・分類・話者の生年・採集日の表を置き、話は土地の言葉のまま書き起こして話者名を添える。