守谷相馬家の氏神と伝わる代八幡社
どんな伝承か
代八幡社は寺田小山にある。平城天皇の大同二年、守谷の西林寺二世の法師が山城国の石清水八幡宮から分霊を迎え、相馬の地に勧請したものと伝えられる。のちに平将門の守護神として篤く崇敬され、将門の死後も守谷に城を構えた相馬家の累代の氏神とされ、徳川幕府の時代には五石の社領を与えられた。この地はもと守谷の飛び地であったが、大正のころには寺田に編入されて村社となっていた。『下総旧事考』は寺田の八幡神社として、由来は不詳、祭日は八月十五日、別当は守谷村の西福寺と記している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。