将門の法会を営んだ守谷の長龍寺
どんな伝承か
守谷の長龍寺は弘仁十四年の開基で、初め真言宗であったが後に禅宗に改めた。寺の由緒書によれば、嵯峨天皇のころ空海が関東を巡ってこの地を通り、心に感じるところがあって一堂を建て東明庵と号した。その弟子の弁慧が師の跡を慕って東国に遊び、平将門が相馬郡守谷の城主になったころ伽藍を造って法地とし、徳怡山長龍寺と称したという。天慶年中に将門が誅せられると、寺僧はひそかに将門のために法会を営み、長龍寺殿の法号を贈った。天文二年に殿堂を再建して曹洞宗となる。天正十八年には浅野長政らがここに陣を置いて乱暴狼藉や放火を禁じる制札を出し、翌年徳川家康から十石の寄附と一山不入の朱印を受けた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。