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将門の偽宮と伝える守谷城の跡

所在地茨城県守谷市城内(平臺山)
年代寛永四年
登場平将門、菅沼定政、土岐定義、偽宮を築いた、徳川家から置かれた城主、高槻へ移封された城主
出典相馬伝説集

どんな伝承か

守谷町大字城内にある守谷城の跡は、平将門が偽の宮を築いた所と伝えられ、相馬氏の居城として代々続き、のちに土岐・堀田・酒井の諸侯が相次いで居城した。町の東北の高台にある本城は俗に平台山と呼ばれ、四方は三丈から五丈の崖で、空堀によって二つに分かれる。前の郭には喰違いの跡が残り、北の郭は土塁を留めて三方を沼に囲まれた要害である。地名辞書には相馬城ともいい、天正十八年に北条家とともに滅んだ後、徳川家から菅沼定政が一万石で置かれ、その子土岐定義が高槻へ移り、寛永四年に上山へ移封されて廃城になったと記す。里の牛頭天王社には大同元年の銘のある神鏡があり、将門の妙見八幡は今は西林寺に移されている。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))

『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。

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