守谷の平台山に始まる将門の興亡
どんな伝承か
守谷町の北方の沼田にコウシウが原(古城原の訛)と呼ぶ所があり、平台山は将門が初めて城を築いた地という。天慶二年、将門は弟たちを率いて常陸に攻め入り、伯父の国香を藤代川に討った。興世王にそそのかされて下野に攻め入り、伏兵と火攻めで国司藤原恒佐を破ると諸国の国司は戦わずに逃げた。将門は平親王と称し、石井に居城を構えて守谷を離宮とし、百官を置いた。藤原秀郷は将門を訪ねたが、その軽率な振る舞いを見て見限ったという。秀郷と平貞盛が小橋に陣を張ると、将門は夜襲と落とし穴で一度は勝ったが、油断して逆襲され敗れた。辛島に退いた将門は二月十八日に自ら出て奮戦したが、貞盛の矢に右目を射抜かれ、秀郷に首を取られた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・大正)
大正十一年、寺田喜久(狂花)が編んだ『相馬伝説集』。茨城・千葉にまたがる旧相馬郡(利根川流域=小文間・守谷・布川・布佐・藤代・横須賀など)の名勝・旧蹟・伝説を、△印で項目立てして地誌的に網羅する。最大の主役は平将門で、守谷町の朝日御殿・桔梗塚・佛島・日秀の石井戸など将門伝説群、その妾とされる桔梗の前の伝説を収める。