傳説の將門
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どんな伝承か
天慶三年(九三九年)三月二十五日、将門が討たれてその首が都に送られた後も、将門の霊は屈しなかったと伝わる。夜になると笑いながら、体さえあれば今一度合戦をしようと言ったという。将門の体は黄金のように硬かったと語られ、これを藤原秀郷が聞き知ったことから、秀郷は将門の弱点であるこめかみを矢で射抜いて討ち取ったのだという。将門の骸はその後も都へ向かおうとしたが、武蔵国豊島郡まで来たところで力尽きて倒れ、その地に一社を建てて祀ったのが、のちに神田明神と呼ばれるようになったと伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・大正)
大正十一年、寺田喜久(狂花)が編んだ『相馬伝説集』。茨城・千葉にまたがる旧相馬郡(利根川流域=小文間・守谷・布川・布佐・藤代・横須賀など)の名勝・旧蹟・伝説を、△印で項目立てして地誌的に網羅する。最大の主役は平将門で、守谷町の朝日御殿・桔梗塚・佛島・日秀の石井戸など将門伝説群、その妾とされる桔梗の前の伝説を収める。
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守谷市の伝承
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