手賀沼の鳥猟と高田与清の堤
どんな伝承か
手賀沼は千葉県と茨城県の境界近くに位置する周囲七里の沼で、水鳥や川魚の産地として知られ、冬の雁鴨は江戸の食膳に供された。享保年間に高田与清という人物が堤を築いて新田を開いたと伝わり、沼三十六か村の人々が五日目ごとに夜を待って鳥を捕る張切網の漁も行われていたという。文政の頃にはその功績を詠んだ与清の歌も残されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。