天武天皇の二年二ヶ月に及ぶ殯
どんな伝承か
天武天皇は朱鳥元年九月九日に正宮で崩じ、三日目に人々が声をあげて哭き、南庭に殯宮が建てられた。それから持統二年十一月十一日に大内陵へ葬るまで、殯は二年二か月に及んだ。その間、僧尼が殯庭で哭き、皇太子が公卿百寮を率いて殯宮に参って慟哭し、花縵を捧げ、嘗や設斎が行われた。崩御から一年一か月後に大内陵が築かれ、さらに一年余り殯が続いたことになる。火葬をうかがわせる記事はない。従来の誄に加えて僧尼が哭を奉ったのは、それまでの天皇の葬礼に見られない新しい形であったという。
原典より
すなわち朱鳥元年(六八六)九月丙午(九日)における天皇の崩御から、持統天皇二年(六八八)十一月乙丑(十一日)における大内陵への埋葬までの記事がそれである。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。