壊しかけて放り出された馬子の墓
どんな伝承か
奈良の飛鳥にある石舞台古墳は、蘇我馬子の墓と伝えられる巨石の古墳で、封土がなく石室がむき出しになっている。伝説では、狐がこの石の上で踊ったので石舞台の名が付いたという。著者は、入鹿が暗殺されて蘇我氏が滅んだあと、新しい権力者たちが怨念の象徴のような馬子の墓を壊そうとして盛土を取り去ったものの、あまりの巨石に途中で放り出したのだと推定する。さらに馬子・蝦夷・入鹿という名も『日本書紀』の編者が蔑んで付けたあだ名で、本当の名は記録とともに焼かれたのだと述べている。
原典より
伝説では狐がこの石の上で踊ったのでこの名があるというが、この墓だけが石室を露出しているのはなぜなのだろうか。—— 秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年))
『秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行』は、神山弘が一九八四年に著した伝説探訪の紀行である。越辺川の流域や高麗郷、富士山のある村々、竹寺、武甲山と三峰山、宝登山、釜伏峠と粥新田峠など埼玉県西部の山村を歩き、土地の古老からの聞き書きと『新編武蔵風土記稿』などの記録を交えて、竜や大蛇、天狗、幽霊、将門などの伝説を語る。土地ごとの章に小見出しを立てた随筆体で、著者の前著『ものがたり奥武蔵』で扱わなかった土地を主にとりあげる。